中学時代の恩師N先生のこと
雑記です。
中学一年生時の、担任の先生。
亡くなった、と知ったのは
台風が通り過ぎてすぐ16日お昼ごろ。
その日中のお通夜、
つい数時間前、お焼香をあげてきた。
実はこれもほんのこの間、
1週間ほど前に
その先生から一枚の葉書を受け取っていた。
7月後半の地元ホテルでの展示会案内を
先生にも送っていたから
そのお返事のような葉書だった。
このN先生とは
中学卒業してからほとんど交流もなかったのに、
昨年から今年にかけて
ちょっとした事情で、
実はやりとりをしたことがあった。
ある時、
別のある先生から突然電話をいただいて、
(U先生・今は地元の公民館長です)
「今度、
回覧板にも入っている「公民館だより」に
○○さんの担任だった
N先生が手記を書いてくれることになったんですが、
○○さん(わたしの苗字)が
今、絵の仕事していること
N先生も知ってはってね。
自分の手記の挿絵をぜひ○○さんに描いてほしいって
N先生、たっての希望なんですが、
ぜひ描いていただけませんか?」
と
丁寧なご依頼をくださったのが昨年2022年秋。
U先生とも久しぶりすぎるし、
N先生もU先生も
二人とも好きな先生だったから、
すごく嬉しくて光栄で、
喜んで、ご依頼をお受けした。
N先生とはその時、直接お会いしていなくて、
U先生が橋渡しで原稿を渡してくれた。
読みながら
「あー、N先生らしいなあ・・」と
懐かしく
先生の面影を思い出しながら
ちょっと似顔絵風な先生の姿も含めた挿絵を
2点描いてデータを送り、
先生の文章と共に
「公民館だより」に掲載&配布されたのが
今年2023年元旦号のことだった。
年明けすぐ、
掲載号も無事U先生から受け取って、
N先生にも
また私からもお礼の連絡やお手紙を差し上げないと、
と思ったままズルズルしていたら、
お正月休み終わった頃、
N先生から直接お電話をいただいてしまった。
久しぶりに聞く先生の声、
この時はまだ張りがあったように記憶している。
7月の展示会も、
見にきてくれる、否など、
全然気にしていなかった。
ご挨拶の代わりにの案内状だったから。
でも、先週届いた
その葉書のN先生の筆跡は
どこか頼りなさげで、ゆらゆら揺れた感じで、
冒頭から、
「ごめん、ごめん、ごめんなさい・・・
6月、梅採り時期、
心臓の手術を2回ほど繰り返して
「私の人生の最大のピンチでした。」
と書かれていて。
だから展示会見に行けなくて「ごめん」と。
この葉書を書けたのも、
ようやくペンが持つ力が湧いてきたこと。
でも
太かった足も細くなり腕の力も弱くなった、と
どこか気弱な心情が綴られていて。
中学時代の、N先生の思い出は、
いつも溌剌として、声の張りもすごくて
「エチケットは大切ですよ!」が口癖で
みんなから
「エチケット先生」とあだ名をつけられるくらい
ピシッと背筋の伸びた先生で、
そんな先生が、
こんな気弱な文面と
揺れ揺れになった文字で
「もう一度、再生に向けてがんばってみます。
ぼつぼつ歩いています。」
と
最後、書いて下さってたから、
わたしは、
あの気力溢れる先生だから、
てっきりまだまだこれからも。と。
回復に向かって歩いてリハビリしている先生、
お元気になっている先生の姿しか
想像していなかった。
わたしが葉書のお返事として
残暑お見舞いの葉書を書いて投函したのが
週が明けての14日、
つまり一昨日の昼だった。
先生は
15日未明に亡くなられたらしいから
わたしの残暑見舞いは間に合わなかった。
さっきのお焼香台の向こうに見えた
先生のご遺影写真、
あまり見ることができなかった。
もっと返事の葉書を、
もっと早く出せばよかった。
展示会見に行けなかったことを
あんなに悔やんだ様子で書いて下さってたこと、
「全然そんな気になさらないでください。」と
「お体最優先で、どうぞご無理なく
回復されること心から祈っています。」
と
書いたこと、
勝手な気持ちだけど伝わってほしかった。
お通夜もなんだかまだ実感が湧かないし、
帰宅してからも、
夕食食べてても、
仕事してても、
夜寝付くまでは、
いつもと変わらない感じだったのに、
電気消して寝ようとしたら、
全然眠れなくて、
なんとなくなんとなく
今のこの「何か」を書き残そうと
こうして書き始めた途端、
ちょっと感情が止まらなくなった。
感傷的な文章はあんまり書きたくなかったのに。
感傷的な自分独りよがりな文章は
ちょっと引くのに。
自分がまさに今、そんなものを
書いている、という
お焼香はあげたけど、足りないと思った。
年明けくれた電話の、
先生の声があまり思い出せない。
でも、あの時、話せて、
せめてもの、よかった、
という気持ちも泡のようで、
全然足りない。
やっぱり会いたかったなあ。
挿絵描かせてくれて
ありがとうございました。
って、電話じゃなくて
直接会って、伝えたかったなあ。
中学1年、覚えているのは
休み時間だったのか、
N先生とわたしと、あと一人誰かが
黒板の前で、話した時のこと。
どうしてそういう流れになったのかまでは
覚えてないけど、
N先生が確か
「君ら、何も見ずに立方体って描ける?」
って聞いてきて、
わたしがチョーク持って、
ささっと立方体を描いたら
目を見開いて先生が
「え!!すごい!!
そんなサラサラ、僕 描けないわ!!」
と、
先生自らもチョーク持って何やら描きだしたけど
全然、立方体どころか、
ヘロヘロの線の集まりで、大笑いして。
「○○さん(わたし)、
こんなすぐ描けるて才能ですよ!」と
褒めてくれたことは
ずっと覚えている。
そんな記憶。
長くてごめんなさい。
せめてもの懺悔の気持ち、感謝の気持ち
文字として書き残すことで、
どうか昇華して
先生に届いてくれますように。
(追記)
橋渡ししてくださったU先生は
7月の展示会に来てくれました。
あと、もうお一人、
同じ中学時代にお世話になったE先生も。
本当にありがとうございます。
わたしは、
恩師に恵まれて幸せだと感じています。
U先生とE先生には
同じ頃出した残暑見舞いは、届いたでしょうか。
まだでしょうか。
(最近の普通郵便は届くのが遅いですしね。)
またこのお二人の先生のことも
いつか描きたいです。
私にとっては、
あのちょっと苦しかった中学時代に
本当に心を支えてもらった先生だから。