佳矢乃・オリジナル絵画・イラストレーター・絵本・星読み・通販|しずくあつめ舎 佳矢乃-kayano- しずくあつめ舎「佳矢乃」では、アーティスト佳矢乃が「魂の世界と、今ここの現実世界を繋ぐ絵」をテーマに、絵画やイラスト、絵本、銅版画、紙もの雑貨などを制作しています。降りてきたふたつの魂を描く「しずくふたつの絵」や、出産祝いや魂の起源である宇宙を表現した作品等をあなたの生活に喜びのひとしずく一滴を。

そのままで◯と思えたら その2(自分を知ること)

前回の続きです。

 

そのままで◯と思えたら

前回「そのままで◯と思えたら」

(ジャンプします)

 

 

なかなかハードな話題が続いて失礼します。

一部の方には、読んでてしんどい内容かもしれません。

 

もっとハッピーな記事にしたいのですが、

ハッピーハッピーの中に落とし穴が隠れていて、

 

それをちゃんと「知る」ことで、

「あー、これね。」と思えて対処ができるので、

あえて書いています。

 

知らないとわからない間に陥っちゃう、それが落とし穴ですからね。

知る、のは大事。

 

 

 

自分がどういう状態か、を冷静に精査するために

 

心の底から沸き立つワクワク・・じゃない行動。

 

前回書いたような

まやかしのワクワクで動いた時は、

 

なにかわからないけど違和感があったり、

どこかに無理があったり、

本当はそれほど心惹かれていないのにやってしまったり、

打算が働いたり、

自分以外の誰かに無理させていたり、

 

どうも歯車が噛み合わない出来事が起こってきたりします。

 

自分の凄さを他者に見せつけるためにやっていたり、

自分の本来の土俵以外の、場違いな土俵に上がろうとしたり、

自分の得意分野を履き違えてみたり・・・etc.

 

これ自体が、

周波数が荒く低くなる原因になるので、

悪循環なんですよね。

 

前記事で書いた

「周波数の低く荒い存在」と同じような感覚になっていきがちになります。

 

ぐるぐるぐるぐる・・と下の矢印のような感じで。

 

 

欠乏感 ⇨ 穴埋め作業 ⇨ 本来の自分からかけ離れた言動

 ⇧                      ⇩

焦り ⇦ 他者と比べる癖 ⇦ なぜ? ⇦ うまくいかない

 

(スマホの方は見にくいかも。

 PCで見てみてください。すみません。)

 

 

このループ。下手したら延々ループ。

 

いやだーーー、ですよね。

 

 

なぜこうなるかというと、

それは「他者と比べる癖」があるから。

いつも何かと自分を比べているから、

今の自分にいつまでも満足できなくなるんです。

 

常に「欠乏感」を持ち続けるんです。

 

なので、欠乏感の元となる「比べる癖」は、本当にやっかいなんです。

 

 

自分よりも誰かの方がすごい、とか、

逆に、

あの人よりも自分の方がマシ、とか、

 

近しい間柄、遠い間柄、

ネットだけの間柄でも、今はもうなんでも比較対象がありすぎます。

 

 

宇宙愛意識をもつ存在たちは常に教えてくれます。

 

「そういう比較癖も、もう持たないでくださいね。」って。

 

 

 

◯POINT◯

比べてしまうのは、

今の社会の状況ではある程度仕方ないこと。

ただ、比べる癖は自分を見失う種にもなる。

自分は何が心地いいのかは、周りを基準にしなくていい。

自分の心地よさは、自分だけのものでよくて、

自分だけが「ちゃんと知っている」

 

 

いきなりぶっとんだ話をしますが、

「思い癖」「比較癖」って、

それぞれの宇宙由来の出身星の癖もあるらしいです。

愛のセンサー受信機が大きい小さいの違いもあるようなのです。

 

でも、

それぞれの持ち味だと思って、いなすしかない時もある。

はい、わけわからない場合はこの数行はスルーしてください(笑)

 

 

なかなか最初は比較癖を解き放つのは、難しいかもしれませんが、

 

でもそれが嫌だと思えるなら、

根気強く段階を踏んででも、

根気強く、何度でも、

 

「なんでこんなにも比較してしまうのか。」

「比べることで、何が満たされるのか。」

 

・・を知ろうとするだけでも違うと思います。

 

 

 

比べることで、自分の何がどこが満たされるんだろう?

 

その「満たされるだろうもの」がはっきりわかると、

イコール、

自分に「欠けたものと思い込んでいること」が

はっきり認識できると思います。

 

それが幻想だって、

いつかどこかで思えたら、もう早いです。

 

 

「それって本当に欠けている?」

 

と、とにかく自分に問いかけるんです。

 

ここをやるのは、

遠回りのようで、実は近道です。

見ないふりしていたら、もったいないくらいです。

 

こういう自分自身への問いかけって、

途中かなりしんどい作業にもなります。

隠しておきたいこと、

気づきたくなかったこと、

恥ずかしくなること、わんさか自覚せざるを得なくなるから、

蓋したくなるものがたくさん出てきて、本当に一時期はしんどいと思います。

 

臭いものに蓋したまま、放置することだってそりゃできるんですが、

 

実は周囲に満ち溢れる地場エネルギーの関係上、

昔ほど、今はもう

臭いものに蓋ができなくなってきていて、

蓋をしようとすればするほど「明るみになる」仕組みになってもきているそうです。

 

早く気づいた方が楽なんです。

 

早くに出してすっきりした方が、楽。

 

それでも蓋をし続ける存在もいるのは、いますよ。

でも、自分自身はそれをし続けたいですか? どうですか?

という部分なんですよね、結局問われるのは。

 

自分だけじゃなく、

周りやニュースを見渡しても心当たりあったりしませんか?

蓋できる時代は終わったから。

 

 

たとえ話ですが、

 

泥水の奥底には、

ものすごく素晴らしい自分だけの宝物があるのに、

泥水を飲みたくなくて、

表面だけの上澄みだけすくって飲んで、・・済ます。

 

結果、いつまでも自分だけの宝物は見つからない。

手に入れられない。

 

でも、勇気を出して泥水を掬って掬って、飲んで

底に現れた自分だけの宝物・・・

 

それを手にした人だけがわかる「至福感」って実際あるんですよね。

 

 

◯POINT◯

思い切って泥だらけになってでも、

這いつくばって泣き叫んでも、

泥水の底まで潜る勇気を持って、

ドロドロになりながらも潜った人は、

宝物を手にできる。

 

その宝物のひとつが、

「自分であることが最高だ!と思える気持ち」

 

 

 

それぞれの感じたことが、その人だけの「真実」

 

 

人それぞれ、

「自分の内側」で、

一旦咀嚼して感じたり考えたりすることも大事で、

 

あの人が言ったからきっとそうだ。

・・も、ね、

ちょっとその前に「あなた(自分)はどう?」なんですよね。

 

こんな風にあーだこーだ書いてますけど、

それぞれの感じ方で、

その時々の感じ方でよろしくどうぞ・・と思っています(え)

 

わたしがこう書いていても、

「ちょっとそれ違うと思う」と感じた方がいたら、

その時そう感じた方にとっては、その「違う」が真実なので、

本当、ご自身が感じたままを大事になさってほしいなあ・・って思います。

 

 

同じ人物でも、

時が違えば、解釈も違ってきます。

経験値が違えば、物事の受け止め方もまるっきり違ってたりします。

 

その人自身の「真実」は、その人にしかわからないってこと山ほどあります。

 

だから、

自分の心がどう受け止めているか、

どうしてそう受け止めたのか、

を、

自分なりに感じることの方がほんと大事。

 

誰かと比較して得たものじゃなく。

 

 

こういうの、

「光の方さえ見ていればいい。楽しいことだけ考えていればいい。」

ってご意見も感覚もあるでしょうし、実際そうかもしれません。

 

わたしも、基本はそれはそうだ、って思ってます(え)

 

もちろん、

光の方はしっかり見据えつつも、楽しみながらも、

 

光と闇(ダークサイド)は両方あってしかるべき・・

「光だけ良し。闇は悪し」じゃないですから。

 

中庸なんですよね。

 

よく言われることですけど、

闇があるから光がある。光があるから闇ができる。

ダークサイド側をそもそも「ないもの」と蓋をしない。

 

ダークサイド側も「見知っておきたい。」

だって、蓋をしたら腐るから。

 

知らないままでいたら、

知らない間に、自分の意図とは不本意な方向に言ってしまうことだってあるから。

 

知っていたら対処できること、ありますから。

 

だから、

「見知っておく」にしても、

あー、あるんだ。くらいな軽さで。

 

私自身にもダークサイドあります。

誰にだってあります。

そういうダークサイド・グレーゾーンも「排除・否定」しないでおく。

 

そんな感覚が案外フラット(中庸)に導いてくれるんじゃないかなって思うんです。

 

 

 

闇を排除しようと抵抗すると、闇は大きくなるシステム

 

排除しようとしたり、

否定しようとすると、途端に「抵抗」を生みませんか?

 

「抵抗」は、

ダークサイドにとったら格好の餌。

抵抗すればするほど、あちらは力を宿していく。

 

だから、いなす。

 

あるんだね、あるんだ。

へー、そう。くらいな。(笑)

 

あるのは認識している。無視じゃなく認知はしている。

精査はしている。ちゃんと「見てるよ」という感覚はある。

 

でも、いなす。

 

正解はいまだにわかりませんし、

偉そうに書いていますが、そう言ってられないまでになってきているかもしれない、

って感じることもたくさんあります。

 

笑い飛ばせたら最終いいな、と思いながら。

 

 

で、です。

 

これは私の個人的な勝手な感覚でしかありませんが、

 

「わたしは絶対ダークサイドと違う、絶対闇はない。

 光でしかない。光のみ。」

 

と言い切る方が危うい気がします。

それは眉ツバものだ、と私は思っています。

 

あちこちにリーダーと呼ばれる方がいて、

「わたしは光そのものです」

という方を筆頭にプチ宗 教的なものが発生していること・・・

(批判反論承知の上です。すみません。)

 

 

恩師がいて、生徒がいる。

 

何か良いものを、

周りに継承していく方法は、素敵です。

 

でも、

生徒は、

恩師を尊敬しながらも、

恩師の言いなりになっていればいい、ではないと思います。

 

いずれ自立するだけの力を付けて、

やっぱり自分で道を開いていく。

 

恩師がいないとダメだ、では意味がない。

 

恩師は、

生徒に、

自立できる術(すべ)を示してこそ、が本当じゃないかな、と。

 

「ずっと誰かに頼らないといけない」状態や、

「誰かを崇拝して、この人に頼ればいい」状態を作るのは、

罪なことだなあ・・と思います。

 

だから、

恩師が、

「あなたのことが心配です。」

「わたしがいないとダメ。」

なんて力強く言うのは、

おっと待て待て、それは違うんちゃうか。って思うんですよね。

 

 

個々の意識が目覚めていけるように。が、本当じゃないのか?と。

 

 

だから、

誰かの言った言葉でも、

誰かの思想でも、

誰かの体験でも、

一旦は、

自分に置き換えて感じてみることが何より大事かなと。

 

そうやって、

自分の感性を磨いていく。

 

感覚を確かめていく。・・を繰り返す。

 

日々の中で。

 

 

誰かが正解で、

誰かが間違いとか判断する前に、

自分の感覚を磨いて、

自分が選んでいく、

 

それだけは何をおいても誰かに開け渡さないでいること。

 

 

 

「右向け右」の世界に居続けるか

 

自分が向きたい方向を向ける世界に行くか

 

「みんなが好きだから、わたしも好き」

「みんなが良いって言うから、これが良い。」

なんてのも、

 

魂、心、体の一体化(統合)からは、かけ離れたもの。

 

 

自分だけの感覚を取り戻して、

誰がなんといっても、

わたしはこれが好き、これが良い。

と堂々と言えるものを。

 

その自分の感覚は、誰もが持っているものなので。

 

そして、

自分にとってはそれが最高のものなので。

 

 

これも、

 

「自分であることが最高だ!と思える気持ち」

の種ですよねえ。

 

 

 

 

 

———————————-

 

今回も長いのに、

読んで下さってありがとうございます。

 

 

 

魂の伴侶の絵「しずくふたつ」セミオーダー3作目の記事

まだ書けていません。

 

 

魂の伴侶の絵「しずくふたつ」関連の過去記事

(各記事にカーソル合わせるとジャンプします)

 

◯魂の伴侶の絵「しずくふたつ」はじめに

 

◯魂のしずくがふたつ降りてきた絵・はじまり

 

◯魂のしずく2作目「しずくふたつ 002 鳥かご」

 

◯「しずくふたつ」の初個展から、これまでのこと

 

◯「しずくふたつ」セミオーダー1作目と2作目のこと 

 

 

 

また追って挙げますね。

 

話題、あっちこっちしますがご容赦ください。

 

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