アンテナ受信機・自分の感覚に耳を澄ます
「宇宙絵図・宇宙の仕組み」
「宇宙意識もろもろ」
カテゴリ関連記事です。
長い記事ですから、
お時間ある時にどうぞ(*^^*)
最近、ある人と話していて、
こんな話題になりました。
「自分では
それが思い込みだとすら気づいていないけど、
実はそれ
”深い思い込み”ってこと、多いよね。」
って。
思い込みの全てが悪いことではない、です。
ただ、
「必要のない思い込みに気づいたら、
やめていい。
変えて良い。」
そんなことを書きたいです。
「必要のない思い込み」とは
良い思い込みもありますよね。
根拠のない自信とか最高です。(笑)
「理由はないけど、
わたしは、これができる」と
思えたら、すごく素敵です。
極端な例は省いてですが、
みていたら、
実際、そう思えている人は
やっぱり「できて」いたりします。
というか「する」んだと思います。
それとは別に
「余計な思い込み」
社会で暮らしていたら、
知らぬ間にわんさか、持ってしまう
「余計な思い込み」
=(イコール)
「自分を不自由にしている概念」
「自分にとっての真実かどうか
わからず
そのまま鵜呑みにしていること」
と言い換えてもいいかもしれません。
誰かから聞いて、
「そうだ」と思い込んでいること。
周りがそう言っているから、
「そうなんだろう」と信じてきたこと。
自分は体感していないのに
聞いたまま思い込んでいること。
「幸せの形」なんて最たるもので、
今でこそ
「幸せの形は人それぞれ」って
考え方は広がってきたけど、
ほんの少し前までは、
俗にいう
「結婚適齢期までに結婚しなくちゃ」とか、
「結婚したら幸せ」
「子供はたくさんいた方が
子供にとって良い」
「奥さんは
旦那さんに許可をもらわないと
出かけられない」
とか、
しょっちゅう耳にしていました。
「それは、本当にそう?」
って改めて、心に問いかけたら、
「本当にそう・・とは言えないなあ」
ってものばかり。
こんなこと、
ほかにも書き出せないほど
たくさんあります・・(白目)
そして、
これらの「思い込み」の大半は
無意識に
「自分を無数に縛り付けるものばかり」
しんどいはずなんですけど、
しんどい、とすら、
気づかないものもありそうです。
(言葉きつめですが、
きつめの表現を敢えて、しております。
失礼します。)
逆に
この「思い込み」に縛られた方が
安心するケースもあるかもしれません。
「みんながそうだから、
自分もそうする。」
その思い込みの方が
都合がいい場合もありそうです。
自分の感覚よりも
誰かのいうことで行動したら、
自分は責任を持たずに済みます。
「誰々がそう言ってたから。」と
責任回避できますよね。
さて・・・
余計な思い込みに気づく・気づかない
余計な思い込みに気づいても
手放す・手放さない・・
どっちにしても、です。
余計な思い込みだと、
気づいてしまったとしたら、
そのあとは、
きっともう
その「違和感」を持ち続けたまま
生き続けるのは、
以前よりもしんどいでしょうし、
葛藤も、深くなるんじゃないでしょうか。
「余計な思い込み」を手放せないなら、意識を変えてみる
過去記事
上の記事で、
違和感がある出来事は、
それは「本来の状態とは違う」という
魂からのサイン
と書きました。
まず「違和感を感じた」こと自体が
すごいことなんですよね。
誰かにすぐ答えを聞くんじゃなくて、
自分の感覚をしっかり開いて研ぎ澄ませて、
日々、毎日、
敏感に自分の感覚や心を察知してきた証拠
ですもんね。
そして、この
「心で感じていく」を丁寧にやっていたら、
良いこともたくさんあります。
「フィット感」
「心地よさ」
「誰かが違うと言っても私にはフィットする」
自分だけの「これだ」
と言うものも
途端に感じやすくなりますから、
良いこと尽くめ、だと思うんです。
周りがどう言おうとも、自分にとっての「これ」を見つける
唐突ですが、例え話です。
最近話題の美味しい
「生食パン」を頂くことがあります。
いつだったか、
はじめて父が、
今では超有名になったブランド
乃○美をもらってきたときも、
家族全員、色めき立って(笑)
速攻、一斤またたく間に、
みんなのお腹に吸い込まれました。
焼かなくても美味しいって本当で、
確かに、そのままでも美味しかったです。
ただ、
わたしの好みはバタートースト。
(誰も聞いていない)
大好きなバターを乗せて焼いて頂きました。
これまた言わずもがな、
美味しかったんですが、
そのとき、
ずっとこの厚さで切ってるけど、
試しに
薄く切ってみようか・・と
思った時がありました。
で、
いつもより少し薄めに切って食べてみたら、
ほんの数ミリ程度なのに、
サクッと感が増して、
なんだ!
焼くときはこっちの方が美味しいぞ!
と、感じました。
すごく単純な話です。
もしかしたら、
「なんだ、そんなの
わかりきったことじゃないか」と
思われた方もいらっしゃると思います。
でも、
やってみて
味わって
体感したからこそ、感じられた
美味しい味だったかもしれません。
体感したことは
記憶に焼きつきます。
最初から
「この厚さがベスト」って
誰かに切り分けられたパンじゃなくて、
自分の好みで、
自由に好きな厚さに切れるパン。
「この厚さが一番美味しい。」
という情報を知って、
「このパンの厚さが、
一番 美味しい!」
と誰も彼もが口々に言っているとしても、
で、実際、
情報に従って、
自分で最初から
その厚さに切って食べて、
確かに美味しい、と感じた・・
としても・・・です。
でも、
そこで終わるんじゃなくて、
自分の好みを、
もっと
探ってもいいんじゃないかな?
と思うのです。
「自分の感覚探し」の提案です。
・・と、
パンを例えにしましたが、
なんにだって当てはまること。
もしかしたら、
周囲の情報たくさんあるけど、
「これが良い」と多くの人が言うものが、
自分にとっては
「良いもの」とは限らない。
ほんの少しこうした方が・・、
ほんのちょっと変えた方が・・
はたまた全く違う角度から
試した方が・・
自分にとっては、
こっちの方がフィットした!
と感じること、山ほどありそうです。
わたしにとっては、
これが一番!
それを見つけるために、
いろんなことを試したり、
実験したりすることは、
結構大事なことよなあ・・と、
最近ますます思います。
個人個人違う感覚。
違って当たり前、ですからねえ。
蛇足・補足・・「ゆらぎ」もある
さっきのパンの話をひっぱりますけど(まだか!)
いくら前の日に
「この薄さが美味しい!」って思っても、
次の日には、
違う厚さで切った方が美味しく感じる時、
感覚がゆらぐとき、あります。
味覚だけじゃなくて、
ほかのことも、
同じ人間でも、
体調や気分によっては、
その時々で変わりやすいものなんですよね。
その、ゆらぎも「よし」で、
その都度その都度、
その時の感覚で、
探っていければいいだけで。
なにも予備知識のない状態、
前評判を聞いていない段階で、
「これ、好き。
これ、良い。」
と自分で見つけられる、
その感覚を
丁寧に都度都度、探るだけ。
この社会にいたら、
自分に関係あるなし関わらず、
ほんとうに情報が多すぎて、
時間があればスマホ見て、
良いか悪いか、のジャッジだらけ。
テレビ番組も
そこ要る?って箇所でもテロップが入れられて、
その人の声色や表情を感じることすらしないままで。
最初から「正解」のようなものを
突き出されている。
そのうち、知らぬ間に、
自分の感覚を麻痺させられる、
自分の感覚がわからなくなる・・
そんな仕組みやからくりかもしれない。
いっぱい散りばめられているのかもしれない。
だから、意識して、
自分で見つけていきたいな、と私は思います。
いまだに
「ゆらぎ」まくる私だと自覚しているから(笑)
だからこそ、
自分の感覚くらいは、
自分で責任を持てる人でいたいなと、
ぼんやり思います、はい。
長々と・・・
今日も読んで下さってありがとうございます。
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