「ずっと良い状態」を目指さなくて良い、はなし
以前もどこかで書いたかもしれないけど、
またちょっと書きたくなった記事です。
気分の浮き沈みは、あっていい
いきなりですが、
本調子じゃない時ってありますよねえ。
人間ですもの、
神様じゃないですから
気分の浮き沈みなんて、普通にあります。
私の個人的な感覚・はなし、ですが、
8月入ってしばらく
ちょっとこの「沈みゾーン中腹あたり」に
ゆらゆらゆらゆら
止まっている感覚がありました。
そうなる理由は特になく、
なんとなく
「振り返りをしてしまう時期」なだけ、という感じ。
前回の記事のような悲しい出来事はありましたが、
この「沈みゾーン中腹ゆらゆら」は
それ以前から続いていたことです。
感情的には割と
「淡々と・粛々と」していました。
「沈みゾーン」の中にはいるけど、
波の状態は、
いたって「おだやか」
そんな「おだやか」な漂いを続けながら、
意識の深いところで
いろんなこと、さまざまなことを
見つめ直し、見つめ直ししていました。
そんなある日、
今までこれが「本音」だと思っていたものが、
まだまだ
ただの「うわっつら」でしかないことに気づきました。
もっと奥底に、
「さらに深いホンネ」があるなあ、と
さらに掘っていくと、
「深い本音」=「心底望む状態」が見えてきました。
でも、まだそれも
本当に本当、それが「正解」かどうか
まだ疑っています。(どんだけ)
今回出てきた「本音」も
「うわっつらのちょっと厚みがあるだけ」かもしれませんしね。
(何言ってるかわからんちん、ですよね。ごめんなさい)
それはどっちでもいいな、とも思ったり。
心底望む状態が見えたことで
「やりたくないことも明確になった」です。(え)
「やりたくない」と、
口に出した途端、
沈みゾーンゆらゆらしていたものが
ふっと浮かび上がって、
陸に着地できた、そんな気がしました。
(どんな表現よ)
「やりたくない」と自覚するのが
怖かったのかもしれません。
でも、もう抗いようがないな、と降参した。
やりたくないから、それをしない。
と、すぐにはそうなれない状況ではあるけど、
でも、
なにか「工夫」はできる。
できる限り、
やりたくないことを、しないで済む工夫。
やりたくないけど、やる時、
少しでも「気楽に行える」・・工夫などなど。
そもそも、
やりたくない、と思うのも言うのもダメ、って
思い込んでいたんだなって感じます。
それは「良い状態じゃない。」と勝手に思ってた。
⇩
でも、それほんと?
⇩
別によくない?
そんな時があっても。
⇩
いいよね。気分がそうなんだから。
⇩
「いつでも良い状態でいなくちゃ」
なんて、そもそも
思わなくっていいんだよなあー
・・となったのです。
いえね、頭ではそう思ってもいたし、
割と、オンラインで伝える側の時は
そんなこと言っているくせに、
自分のこととなると、もう、こうですよ(苦笑)
どっかずっと、しつこく
「いつでも良い状態」を目指してたんだろうなあ(白目)
でもこれって「不自由」
気持ちも意識も、縛られている。
⇩
「よくない状態になる自由があってもいいじゃないか。」
こっちの方が不思議と
自由で爽快な気分になれる、感じ
自分に嘘をつかない。
というのは大切だなって思います。
気分が乗らないのに
気分が乗ったふりをしたり、
気分を乗らせないといけない、とするのは
自分に対して不誠実かもしれません。
(過去記事参考まで)
蛇足かもしれませんが、
あえて前置きしますと、
ほんとにこれは、深刻な話しでも
ネガティブな話しでもないです。
どれだけ
スピリチュアル的なことをかじっていても、
落とし込んでいても、
冒頭タイトルに書いたように
そもそも
「人生ずっと良い状態なまま」でいる、なんて
ある種、まぼろしだよねえ、
というベースから始めたいな、ってお話です。
「人生ずっと良い状態」以外のものを
受け入れられない、
そんな
「受け入れられない」意識こそが
「苦しさ」の元・・・
自分に対しては誠実でいたいです。
——————————-
ショックなことはショックです。
ショックやダメージは受けてしまう。
そこを否定しないであげたい。
ショックだったことも
ダメージを受けたことも、
そうだよね、ショックだったよね。
って、
優しく一旦受け入れたい。
で、
いつかそのうち、
軽めタッチで受け止められる日がくるかもしれない
・・という、
その「あかり・光」の方は見ておきたい。
頭の片隅には置いておきたい。
至極当たり前なことを書いている気もしますが(え)
私の場合、
こうして8月から
しばらく漂っていた「沈みゾーン中腹ゆらゆら」も、
先日、ふっと
「○と○のエネルギーだけを回すようにしよう」
心にモヤがかかるような行為は極力やめよう。
と決めた瞬間、
ふっと、すがすがしくなりました。
これも、
苦味を感じた後に、
甘みを食べると、いつも以上に甘く感じるように、
沈みゾーンの中でやや重く、
向き合い向き合い、振り返り振り返りを
繰り返したからこそ味わえたギフトかも。
重めの自分も、
自分だけは、愛でてあげよう。
そして、
すがすがしいゾーンにきた今は、軽く生きよう。
長々とうっとおしいかもしれない記事を
ここ最後まで読んでくださったとしたら
本当にありがとうございます。
本音をあきらかにする=あきらめる
ちょっと話が逸れるんですが
最後の最後(まだなんかあるのか)
自分のための記録残しのつもりで。
随分前のことですが、
FBでのお知り合いさんが、
これ、結構、
世の大勢の女性さんにとって
大きな何かを開けられる記事だと思ったんですが
いかがでしょう。
わたしは確実に
「父親」になっていた自覚があります。
(父性じゃなく、男性性の部分だと理解しながら)
(対して、母性の多くは女性性とは違うこと。
この勘違いも、オンラインでお伝えしています。)
また記事後半では、笑ってしまいました。
共感しすぎて。笑
もちろんこの記事すべてにおいて
0か、100か、
白か黒か、男性か女性か・・と
極論で唱えることは危険だったりしますが、
でも
着地できた今のわたしにとっては、
「あーーー(ほんとそれが種かも)」って
やっぱりこれも、
すがすがしく受け入れられた内容でした。
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