「純度」について考え続けた年末年始のひとりごと
あけましておめでとうございます。
お正月から早4日目、
みなさま
いかがお過ごしですか?
我が家は、娘二人が帰省していて賑やかです^^
まずは娘たちとの毎年恒例行事(笑)
京都・太秦の東映映画村に行って
ニマニマしてきました。むふ♡
これはライダーショー✨
ライダーが出てくると拍手喝采。
バイクアクションもすごくて、わーってなる(語彙力)
周りのお子さまたちの純真な応援掛け声にも癒され
かわいすぎてとろける。
ちなみに今年のショーでの
わたしの推しはカブトとビルドでした。
カブトの去り際の顔残し立ち姿が
あまりにかっこよすぎてしびれた。(つまりオタクなのよ)
映画村のセットを散策したり。
それと今びっくりしたこと。
京都行き帰りのドライブ途中
「坂ノ途中」と表示されたビルの
野菜のイラストたっぷり描かれたシャッターに
目が留まる。
赤信号で止まっていたから、ずっと見てた。
気になる。
何をやっている会社なんだろう?
と思っていた。ら。
帰宅後インスタ開いたら
この「坂ノ途中」の広告投稿がパンっと出てきた。
まさに、ここ。
・・スマホさん、
びびちゃったじゃないですか。
私の心の声を聞いていましたか?
言葉に出していたら、
音声拾った?そういう機能?って思えるけど
言ってませんよ、心で思っただけですよ。
たまたま?
たまたまじゃなく、
感知してた?
としたら、
なぜ、感知したんだ・・(白目)
仮に○○論的に、
脳を自動的に検 知される A I機能やら
もう開発されて、あった、としても、だ。
知らんけど。
素直に
「すごい!シンクロだ!」って
ときめけなかった、今。
純度が濁っている?
と軽率に自らをジャッジしそうになって
でも、熱心にその投稿リンクを読み進めて
「ほう・・・」となった新年です。(どんなよ)
2025年もよろしくお願いいたします。
なんやかんや
年末年始にかけて
ちょっとしたことでも
こんな風に
「魂の純度について」
感じて、考え続けていました。
その時は
はっとしたり、
これだ!って光がピカリ灯った気になっても
すーぐ、忘れたりもしますから^^;
わたし自身も反芻できるように、書き残します。
浮かんだ瞬間の、それの純度を保つには
今朝も布団の中で目が覚めた時から
うつらうつらしながらも
いろんなアイデア
書き留めたくなることなどが
浮かんでは消え、
ハッと浮かんでは消えていく・・(これが日常)
ただ、今日はあまりにも
たくさんの「意識の種」が
怒涛のようにたくさん湧いてきたので
それらを
取りこぼすのは「いやだなあ」と感じて、
ずっと家にいれるのをいいことに、
早速
メインPCで、
このブログを書き始めました。
と、同時に、サブ機タブレットでは、
全く別に浮かんできていたアイデアを
メモ書きしはじめたり。
浮かんだそのままは
純度が高い、と感じているからなんですけど
日常生活していたら
浮かんですぐ書き残せる率は
低くなります;
スマホのメモ機能に残せるような
断片的な言語ならいいんですけど
図解、図式みたいなものは
まだうまく残せません。
メモできる状況の時に
なんとか思い出してメモする程度。
とはいえ、
なんだかんだ
浮かぶまま、書き、
浮かぶまま、やり始めること多し。
(それぞれ別なこと)
違う分野のことを
断片的に、いくつもいくつも
書き殴ったり、
ふと思い立って告知用画像作ったり、
違うことやってたのに
思いついた熱のまま動き出したり・・
ほんとに計画性がなく、
どれもアクションひとつひとつは
小さいですが
できるだけ純度そのままで
「興して、残したい欲」を優先してい・・・
ああああ、玄関先のピンポン音がっ!
この集中している時に
別の何か集中力が途切れるものが
入ってくる、この
ジレンマ
なんとかなりませんかっ
(突如はさむ、心の叫び声)
(ピンポンは許しておやんなさいよ)
もとい。
そもそも・・
そもそも、
思いついた瞬間のもの
浮かんだ瞬間のものだけが
「純度高しもの」と
定義づけなくても良いな、と
思い直し、思い直し、
メモれなくても、
あとから思い出したソレの形が
多少、変わっていたとしても
それはそれで
ベストだと受け取り、
今年も、
浮かんだものを
形にして行けたら良いなと
思っております。
(一体、なにが書きたかったんだろう←え)
昨年は、
そんな風にして、
ルノルマンカードデッキという
グッズが出来ました。
昨年の2月3月、
ほぼ毎晩毎日1枚ずつ描き続けて完成しましたが
これも、
他にやらないといけないことがあっても
その時湧いてくる「描きたい熱」を優先して
描いたものでした。
年末年始もお買い上げくださった皆様
ありがとうございます✨(喜びの舞)
全国各地からご注文いただいて
今、嬉しく嬉しく、梱包しています。
年始の発送も開始しますね。
お待ちいただいてありがとうございます。
気持ちのアウトプットは、純度がそのまま出てくるはなし
これも独り言ですが、
自分も気をつけたいなあって
日頃から思っていること。
気持ちを伝える時、
やっぱり
「ことばづら」よりも
「内側の純度」の方が伝わること。
ことばの字面が同じでも
声のトーンで
全然違うように聞こえるじゃないですか。
仮に
声のトーンを同じにしても
目に見えない非言語の部分で
なにかしら伝わってくるものが
変わってくる。
ここ、なあ・・って、いつも思います。
もちろん毎回毎回
自分がちゃんとそれができているかっていうと
思い返すと
「あの時、ちょっと言いすぎたなあ。」とか
「あの声のトーンだと違う風に受け取られただろうなあ。」とか
要らん反省をたくさんしちゃう方なんですけど
でも、逆に
自分が「受け取る側」になった時、
受け取ったものが実際
「正解」なのか
「不正解」なのかも
わからないのに、
自分が受け取ったものが「唯一ただしい」と
思いすぎないようにもしないとなあ・・って。
(思っちゃうからねえ・・)
放った相手の気持ち・意図と
こちらの受け取った「もの」が
合致していなくても、
受け取った側の
受け取った「もの」で
受け取った側が
それで影響を受けるのですから
放つ側が
純度を保ったまま放てることを
基本ベースにしながらも
でも
受け取る側の
アンテナの制度を上げる、高める方にこそ
意識を宿していきたいなあ
と、いろいろ思う年末年始でした。
だから、自分が
「放つ側」
「受け取る側」
どちらになった時も意識する、という意味です。
(ん?何言っているかわかりずらいですよねえ・・)
なんかねえ
受け取った側の姿勢として、
受け取ったものを「唯一ただしい」として
放った側をあーだこーだ攻めてみたり
論じるのも・・
おかしなはなしだな、って思ってしまって。
(やりがちなんですけども・・)
議論って互いの成長が見込めるなら
素晴らしいものになるけど
一方的な「勝利欲」「我欲」
「自己満足欲」のために使うのは
本当に・・不毛ですもんねえ。
(年明けから真面目だよ、この人ったら。)
わたしの今書いた文章でも
きっと受け取り方は
さまざまだと思います。
散文、ここまで読んでくださってありがとうございます。
同じ人でも、
今読んだ時の受け取り方と、
例えば
1年後に読んだ時の受け取り方は
違うことだってあり得るかと思います。
が、そのまま残します。
「純度を宿らせること・もの」について。
「純度を受け取れる力・育み」について。
2025年、
みなさまにとっても
素敵な一年になりますように。
今年の初詣。
氏神さまには
デザイナーユニット
心や気持ちが純度高く詰められた
「門梅®」が飾られていました。
純度の高さ、深さ、広さ、を改めて
感じるもの。
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