春の足音とシェア告知と「普通」について【オンライン展示も続く】
立春、すぎました。
ちらほら梅の花も咲き始めています。
先日、ikkA さんに向かう途中
隅田川のほとりで見た梅の木は
結構咲き誇っていました。
天気予報では
今日は
大寒波がやってきているとか・・
確かにここ和歌山でも今朝ちらほら雪が降りました。
ですが、
春の足音は確実に
ちょっとずつ聞こえてきているようです。
部屋のヒヤシンスも
控えめに顔を出していました。
1月末日の個展終了後、
はや5日ほど経ちましたが
おかげさまで元気に変わりなく、
仕事、星読み、講座などなど忙しくしています(^^)
個展時に皆様から
いただいた手土産を少しずつ美味しく
家族と一緒にいただく毎日でもあり、
(本当にありがとうございます!)
個展に来ていただけるだけで十分嬉しいので、
本当にどうぞお気遣いなく・・!と思います✨
でも、結局ありがたく受け取っちゃうんですが(^^;)
土地土地の銘菓や名産を知れるのは
確かに嬉しいです・・(結局・・)
渡す側で思うと、
私も確かに
「これは、あの方に食べていただきたい」とか思うと
やっぱり買って持っていく(笑)
そういう「交流」って
素直にいいなあ、嬉しいなって思う。
仕事の合間や、食事の時に、
いただいたものを手に取るたびに、
あの時の
「嬉しいやりとり」
「嬉しい会話」
「心がポッと暖かくなるような笑顔」
などなど
思い浮かべたりしています。
(しつこいですけど、
手土産なくて良いのですよっ笑
本当に会えるってことだけで十分嬉しいので〜^^)
つらつらと、つぶやきました。
オンライン展示・2月末まで
ひとりごと・つぶやき
冒頭での、つぶやきついでに(え)
最近、しみじみ思っていることを書きます。
「普通に考えてみる」
これを、よく思います。
「普通」という言葉は、
使いどころによれば、
ちょっと蔑むような場合もありますねえ。
たとえば、
「普通の人だよね」なんて言うのは
場合によっては、
失礼な言葉になったりもして。
多くは
「普通」でいたくない
「普通」を超えたい
「普通」のもっと先をいきたい
そんな感覚を持っていたりする気もします。
でも、私個人的に
この
「普通」って、
案外、素敵なんじゃないかなあと思うのです。
シンプルに
「普通」に考えて、
「普通」に実行できることって
すごく良いなあと。
例えば、
道端でご老人さんが重い荷物を持って
歩きにくそうにしていたら
「普通」に考えて
「普通」に持ってあげようって思って
そう実行する時があるように。
そうできる人を見て「素敵だなあ」って思うように。
例えば、
誰かがしんどそうにしていて
その方自身がどうにもこうにも動けない状態を
感じ取れたとしたら
「普通」に考えて
その方のちょっとだけでも手助けになるような
なにかを・・・
「普通」にできることって、
素敵だなってやっぱり思ったり。
で、
ちょっと「例え」は違うかもしれませんが、
でも
少し前までは当たり前だったはずなんですが、
冬場は
「普通」に風邪をひきがちになります。
だって寒くて、乾燥もするから。
でも、最近って
この風邪すら・・・どうですか。
もう皆まで言うな、ですか。(笑)
もっと例えて言うなら、
「普通」は 子どもたちは
熱を出すことで免疫力を鍛えたり、
抵抗力を高めたりして、成長していきます。
いえ、大人もそうやって
健康を育み、維持してきたはずで。
でも、最近これもどうですか。
(もうやめておけ)
(それとこれとは話は別だ、という声も遠くから聞こえてきそうだ)←超小声
(いや、でも考えてみてくださいよと思う、しぶとい自分もいる)
(人ってそんな簡単に壊れないと思う自分もいる)
(そう、人の持つ力を信じたい)←声の大きさが戻ってきた笑
なんだかねえ・・
人の意識が
ちょっと「普通」と、かけ離れたところに
いっちゃってませんかね・・・
と
情けない大人の一人として思います。
長い目で見たときに、
のちのち歴史の一部として
今の時代を眺め直したときに、
後世の人たちは、
どう
「見る」だろうなって。
「普通」の判断力すら失った私たち大人を
子どもたちはどう見ているんだろう、とも思うし。
自分たちが子どもの時も
大人たちの言動に
違和感感じること、ありませんでしたか?
私自身が、そうだっただけかもしれませんが、
なにかしらいつも
周りの大人に怒っていた気がします。(え)
いえ、正直そうだったんですよねえ。
「それ、おかしいよ」
「言っていること矛盾しているよ」
「偉そうに言うけど、
あなたたち、何にもできていないよ」
「結局、私よりも世間体が大事なのかよ。
がっかりだよっ(って例の口調でお願いします)」
って、
すごく偉そうに思っている子どもだったです。
白状すると。
今、自分たちが
その立場になっていて、
なんだか悔しい気持ちもあって。
超個人的なエゴです。
(落ち着け)
多角的に、多面的に
眺めて、観察して、思慮して
「普通に」行動できたらいいなあと思います。
で、
不安がっている相手を
ますます不安がらせるやり方も
好きじゃありませんです・・。
でも、だから、
なんとか・・表現自体に思慮を巡らせたり、
やり方なんかも工夫できるんじゃないかなあ。。
と、私自身かなり模索中です。
不安と恐れの力は莫大なので、だからこそ
そして、
たしかに・・
不安と恐れのパワーは、莫大だ
ということを改めて認識します。
前に、このブログのどこかで書きましたが、
「不安と恐れ」:「喜びと愛」
の比率を数値化すると
「 1 」:「 15 」
そう、
喜びを愛を15ほど積み重ねても
たった1つの不安と恐れで、
積み重ねた喜びも愛も
簡単に吹き飛んでしまうそうです。
あれだけ仲よかったのに
たった一言で関係が壊れることがあったりするように。
それくらい
「不安と恐れ」の力は圧倒的。
だからそれを利用されてしまうこともあって
利用したい輩もいて
まんまとハマってしまうこともあるんだと。
だから、余計に
毎日の中で
できるだけたくさんの
「喜びと愛」を積み重ねることが
本当に大事なんだよねえ、と思うわけです。
今それが難しいと感じるなら
せめて、
フラットに冷静に落ち着いて
「考えを巡らせる状態」
ゼロ地点にさえ戻すことができれば・・
「普通」の感覚で
「普通」にものごとを考えることができて
「普通」に行動できるんじゃないかと
改めて、遠い目をしながら考えます。
綺麗事だと笑う人もいるでしょうが、
笑ってやってくださいまし。
そして、
戦時中は
この「普通」の考えが「非国民」と謳われましたね。
子どもたちや若い世代も犠牲になりましたよ。
大人の指示命令で。
次世代を担う子どもたちは、宝物なのに。
たった70年80年前ですら、こうで、
少し前までは
あれはやっぱり
「普通」じゃなかったって
しっかり思えていたはずなのに。
人の集合意識って
それくらい
簡単に脅かされるってこと、
もう充分、思い知っているはずだよねえ・・って
思いながら、なんか悔しい。
悔しいから、書きました、少なからず。
できることはまだまだあるはず、なので。
シェア告知です
話題を変えまして、
以前、
ヘリオセントリック星読みを学ばせてもらった
新しい無料講座・受講を募集されています。
「たましいのトリセツ/知りたいことが全部わかる魂の教科書」
https://iroironoiro.life/l/tamashii
(お申込:2月7日(月)お昼12時まで)
募集人数がある程度、達しなければ
講座開催が難しいそうです。
(⇩⇩ 募集に書かれていた一文をぺたり失礼します)
「どこかフワッとした
心やたましいの知識を
現実でしっかり使える
生きた知恵に」
これ!!(ゴキアラメ、笑)
いやあ、同じ気持ちでありまして
わたくしも申し込みましたし
実際、
まさに、
これを目的でやっていますものですから・・
ね。(なにが)
私含めて
一人でも多くの方が
この現実を
その人らしさを活かしながら過ごせるように
それが
「普通」になるように。
「普通」に安心できる毎日でいられるように
本気で願うばかり。
非公開: ポスターフレーム「夜明け」
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