佳矢乃・オリジナル絵画・イラストレーター・絵本・星読み・通販|しずくあつめ舎 佳矢乃-kayano- しずくあつめ舎「佳矢乃」では、アーティスト佳矢乃が「魂の世界と、今ここの現実世界を繋ぐ絵」をテーマに、絵画やイラスト、絵本、銅版画、紙もの雑貨などを制作しています。降りてきたふたつの魂を描く「しずくふたつの絵」や、出産祝いや魂の起源である宇宙を表現した作品等をあなたの生活に喜びのひとしずく一滴を。

「自分のことを後回し」にしないでいい、という前提を

 

星読み鑑定「あなたと惑星の絵」は、10/27に受付した方を順次進めていまして、

今現在4名様までお送り完了しています。(11/10)

他皆様、もうしばらくお待ちください☆

 

 

 

次回の販売時期は、

今のところまだ予定が組めずに、心苦しいのですが、

今年12月末日まではこの価格でやりますので、

何卒ご理解いただければと思います。

 

(2020年1月1日からは恐れ入りますが

 鑑定作業+作画に費やすエネルギーを考えた金額、

 今の価格の倍+αのお値段にさせて頂く予定です。

 ただ最高に縁起の良い数字並びの価格♪を検討中。

 お金というエネルギーを頂く時に、

 出して頂く皆様にも最高の数字で循環させているんだって思っていただけたら、

 きっと意識の回り方も現実化の流れも

 最高になって巡っていく、と信じているので何卒ご了承いただけますと嬉しいです。)

 

 

 

「母親」ということを考えさせられる時

 

これから書くことは、

すごく個人的な感想、考え、私の思いっきりの私感なので、

もし嫌な気持ちになられる方がいたら本当にすみません。。

 

星読み鑑定をしていたら、

いえ、その前の

ハイヤーセルフ(高次元の自分意識・高次意識・魂の本質)リーディングをしていた時も

時々あったのですが、

 

「元々の自分はそうだ、とわかっています。

 でも今は、子供がいて、

 生活は子供中心だから、本来の自分のままで生きることが難しいです。」

 

というような感想をいただくことがあります。

 

私も、娘が二人いますのでこれはすごくすごくわかる気持ちです・・。

小さい時は特に、ですよね。

 

ある程度成長してからも、

これは私の場合なだけの話ですが、諸事情で毎朝毎夕の送り迎えもしないといけなかったり、

病院通いも必ず付き添わなければいけなかったり、

ちょっとした買い物をしたい、となっても近くに相当のお店がないから、

その度に車を出して送っていかないといけなかったりして、

自分の時間というものがほぼ無い状態。(仕事以外)

 

子供の生活、子供の時間、PTA関係や子供関連の人間関係が大きくなれば、また

そのコミュニティでの生き方が、自分の生活中心にもなったりして、

 

「母親ってそういうものだ」

「母親だから当然でしょ」

 

と、実際周りからもそう言われますし、そういう考えが一般論になっているからか、

母親になったら、子供のために尽くすのが当然だと自分も周りも思っていて。

 

で、

 

だから、

 

「自分のことは後回し」になるし、「後回し」にしてしまう。

 

母親は、です。

(トゲありますよね、むふふ。ごめんなさい。

 じゃあ父親は?父親も父親でそれはもうすごく頑張ってはる方もいっぱいいる、知ってる。

 ひとくくりにできない話、デリケートな話、家族ごとにニュアンスが違ってくる、すごく繊細な話。)

 

で、で、

ここはまず、母親だけでいうと、

 

この「自分のことは後回し」が少しでも美談のように語られる風潮もあるから厄介で

(↑あくまでも超個人的な私感です。)

 

 

自分のことを後回しにするのって、

お子さんの年齢や事情や様々なこともありますし、

他の家族がどこまで協力してくれるかによっても違うものですから・・

 

これも0か100か、白か黒かの二元論では決して語れない部分ですけど、

 

でも、

母親だって人間なので、

しんどい時はしんどいですし、

子供中心の生活の中でも、母親じゃない部分の「個人の感情」が沸き起こるのも当たり前ですし、

「自分の時間が持ちたい」と思うのは、ごくごく自然で当たり前でしてね・・。

 

本来の自分の心、感情、気質を のびのび出して 暮らすこと。

 

それを求めることは悪いことでしょうか?

 

 

と、私は、自分が母親なだけにそう思うのですが、

ここがねー、

自分の親(母親)とよくこのポイントでバトルしますんです。(え、笑)

 

いえ、親との喧嘩は笑い話として聞いていただきたいんですよ。全然重くないです。

 

 

私たちの親世代は「我慢してきた母親」世代だからか、

「母親は自分のことは後回しで当然」という思い込みを強く持ってしまっていて、

だからそりゃまあ、すごくしんどかったんだろうなあ・・とお察しするんです。

 

ただ、ここで問題なのが、

 

「わたし(たち)はそうやって我慢してきたんだから、あなたも我慢しなさい」

 

と、

今の母親世代たちに、周りがそれを強要しがちなところが、

ちょっとこれなあ・・負の連鎖ですよねえ、いかんなあ、いかんよ、これ。

と私なんかは思うわけです。

 

「わたし(たち)がそうだったから、後世代はそうならないように、

 どの世代もどの立場でも協力し合って、良きに計らっていきましょうか」

とはならんもんかね、と。

 

そうしていけたらいいのになあ・・と。

 

 

「自分を後回しにする人」を生み出してしまう背景を紐解いてみる

 

 

 

「自分はこれだけ我慢してるから、あなたも我慢しなさいよ。」ってシーンは、

何も母親だけに限らず、

社会全般、いろんな場面で遭遇することだったりもしますね。

 

ここから、話を「母親」だけに限らず、ちょっと広げます。

 

なぜ、この負の連鎖が起きてしまうのか、続いてしまうのか。(論文か何かか?)

 

私も若い時しんどい時期が長くて、無自覚に我慢し続けたせいか、

ちょっと自由奔放に振る舞う人と接すると、腹が立っていました。

お恥ずかしい自白です。笑

 

それは上の図で言うと、

 

長らく右側の(B)のフィールドにいたものですから、

(A)のフィールドがあるんだよと話は聞いていても、

自分がそこに移れるとは、

10年以上前のわたしには想像もつかなかったですし、

ほんとこれ、今の私はちゃんちゃらおかしいなあって自分でも思うんですけど

「私はこれだけ我慢しているのにっ」って言う「拗ね」なんですよね、完全に。

 

拗ねきっちゃってた。

 

で、さらに厄介なのが、

 

ホンネを言ったら迷惑がかかる、と思い込んでいたことなんです。

(親との関係性の呪縛が大きかったです。)

 

でも、それって違いました。

すごく大きな勘違いでした。

 

 

 

左側の(A)のフィールドは、ですね。

 

その人は決して「後回し」になっていなくて、

むしろ「自分の心は優先されているから」

 

お互いが全く無理をしていないので

お互いの違いもお互いに認め合えるし

互いの好き嫌いもそのままの状態で受け入れられる。

お互いの喜びを素直に共有できる。一緒に喜べる。

 

ホンネのホンネは、循環するようにできていて、

エネルギーも調和し合うようになっているから、

だから、不具合なんて生じようがない。・・・・らしいんです。

 

相手のホンネが心地よくもなってくるし、

自分のホンネも素直に出せて、ますます心地よく循環していく。

めぐりめぐっていく世界。

 

 

(B)のフィールドは、

ホンネが具現化されずにゴミだめのように溜まり混んでいるから淀んでいる。

自分の不満を相手にぶつけるようになる・・他いろいろ・・

(あとは絵図の中の文言をご覧ください。)

 

この負の連鎖に、気づけるだけでもすごく大きいと思います。

 

もし仮に、自分が今そこに存在していると気づいたとしても、

自分がそこに居続けたいか、

自分のホンネを大事にしたいかは、自分が選択できます。

 

でも、

そもそも。

 

自分のホントのホンネって、

かなり気付きにくいものなのかもしれません。

 

自分以外の人の、

なんとなくそうじゃないかなあ・・はわかるのに、

肝心の自分のホンネって、

よっぽど注意深く、怖がらず、丁寧に探っていかないと、

自分に見つけてもらえないものなのかもしれません。

 

今の状況、環境がどうしても先立ってしまって、

自分のホンネのままに言動していくなんて、

「それは絶対に無理」と思ってしまう。

 

それも、それで、全然いいんです。

仕方ない。

 

と、

まずは自分で自分を「そうだよね、わかるよ、仕方ないよ。」と安心させてあげることが先決で、

 

その次に、

できるところから少しずつ、

心を出せるところから少しずつ・・と、

少しずつ少しずつ・・自分の本音を自分で気づくだけでいいんだと自分を励ましてあげる。

 

思い切った大胆な行動だけが「ホンネ」とも限らない。

いきなり大胆なことをしなくても全然いい。

 

 

今、瞬時に感じたことをさらっと言語化するだけ。

それだけでもすごく違うと思います。

 

 

「そんなこと言われたら、悲しい。」とサラッと。

 

「そう思われてるなんて、ちょっと心外かな。」とサラッと。

 

「そこまで決めつけられるとモヤっとする。」とサラッと。

 

「そう思ってもらえて、嬉しい。」とサラッと。

 

「今、忙しいねん。」とサラッと。

 

「ちょっと今度の方がいいな。」とサラッと。

 

 

 

嬉しいことも、悲しいことも、腹たつことも、その都度その都度サラッと表現する。

 

 

全部、ホンネ。

 

そのホンネを、サラッとサラッとただ口にするだけ。

 

これを毎回毎回、丁寧に繰り返すだけ。

 

相手の反応は、相手にお任せです。

そんなことまで面倒見きれませんですし、相手の反応は相手の領域なのです。

 

 

 

それだけで、

割とすっと(A)のフィールドに移れたりするんだなあ・・って私も何年か前に実感しました。

 

そして、

いつの間にか気づいたら、

自分にとってそれが「普通」の世界になっていた。そんな感じで。

 

それが「当たり前」の生き方になってて、

気づいたら、気張らずに行けちゃった。

そんな軽いものでした。

 

お互いがとても心地よく安心して居られる世界。

 

お互いが、適度な距離感を保てて、

気持ち自立し合えてて、心地いい関係性。

 

 

この世界に移ったら、

本当に、

現実化のスピードも速いです。それも体験し続けています。

 

イメージしたことが宇宙とダイレクトにつながっていることも、

肌で感じられるようになりますし、

実際、直感のまま、

パッパッとやっていたら、

すべてがスムーズに流れるように動いていくことが多いです。

 

これは本当にそうだ、とはっきり書きます。はい。

 

 

しつこく言いますが(笑)

 

いまだに、たまに(B)になる時だってありますし、

そんなのも全然いいのです。大丈夫なんです。

 

あ、今、自分(B)だなあ〜、で全然いい。

 

 

わたし、ホントのホントはどっちがいい?

と優しく、

丁寧に、

自分に聞いてあげることを続けてさえいたら、

自然と自然と、楽になりますから、

あきらめないで欲しいです。

 

・・と、私は後半、一体誰に言っているんでしょうか。(知らん)

 

暑苦しくて失礼いたしました;

 

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

 

 

最初から(A)フィールドに居続けられた方には、

この記事なんかは、ポカーン・・だと思うのです。

で、

そう言う生き方が最初からできていることこそ、最高だなあって思うんです。

後世代は、そうであって欲しい。

最初からできる人も、後からできるようなった人も、

そう言う方々がお手本になって、

周りにいい影響を与えたり、

いい循環を生み出していけたら、ほんと最高ですよねえ。

 

 

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