人間は、多面体
会話っていいですね。
特に直接会って会話していたら、
お互いに、感覚的に
「なんとなく」わかる瞬間があったりしますね。
相手から質問されていないものは、
なるべく勝手に言っちゃダメだなあって思いながらも、
時々、
あ、今これ、言わされてる。
今、これ言うの迷うけど、
でも、これを言わないと、
掘り下げないと肝心な部分に進めないよね。
・・的なことがあって、
すみません・・言っちゃうこともあったり。
多少キツイことかもしれなくても、
私も含め、
本人が「ここ」というポイントに気づくきっかけになるものは、
「聞かされている」こと多いですね。
今まで無意識に避けてきた部分だとしても、
本人が気づけたなら、もう進むしかない。(笑)
(こういうの、
誰かに指摘されても自主性が伴わないと、
結局、進みませんもんね。)
そんなやりとりの中で、
例えば、
同じ内容のことを、
別々の誰かに言われたとして、
「この人のいうことは聞く」
「この人のいうことは聞かない(聞けない)」
と自分の中でふるいにかけていることもありませんか?
それって、
自分にとって相手をどういう風に見ているか、が大きいような気がします。
その人の言葉の重み。
同じ内容なのに、受け取る、受け取らない・・が起こる。
逆の立場も、もちろんあります。
自分の言葉が、あの人には届いたけど、この人には届かない。
と思うこともあるんじゃないでしょうか。
どちらが良い悪いでもないですし、
受け取る側のアンテナ状態にもよりますから、
もう、それは
やりとりのタイミング、フィールド、お互いの段階によって
多種多様なコミュニケーションになっていくんでしょうけども、
基本的に、
人間は「多面体」な生き物で、
「100%良い人」「100%悪い人」なんていない。
良い側面も悪い側面も持ち合わせている。
多面体なんだ。
・・という理解があれば、
自分が受け取る側になった時に、
「この人のいうことは聞く」
「この人のいうことは聞かない(聞けない)」
という、
その人に対する「自分がどう見ているか」のフィルターをかけずに
シンプルに、表現のままを受け取ることができるかもしれません。
私自身、
「しまった、前のよろしくない印象のままで聞いていたから、
せっかく良いこと言ってくれたのに素直に受け取れなかった」って
後から気づいて反省することあるもんで・・(笑)
(好き嫌いはっきりしすぎている自覚あり、とほほ)
同じ相手でも、
時と場合によっては、見え方が違う時もありますね。
「いいように見える顔」もあれば、
「よからぬ顔に見える」時もある。
相手側の表現・放ち方もあるかもしれませんが、
多くは、
見る側・受け取る側の、
その時の感情の持ち方、
受け取り方によって左右されるもの。
下の図のような感じで。
上のように、
カチンカチンな意識で会うと、
相手もそういう人だと「見える。」
自分の状態の一側面と、相手の一側面とを
合わせ鏡のように「見せられる」
反対に・・・・
こっちのように、
柔らかい意識で会うと、相手もそういう人に思える。
そういう場合、多いと思うんです。
だから、
もし相手のことを
「天使のような、観音様やマリア様のような」
って感じたんだとしたら、
それは、
見る側のあなたが、
そういう内面をお持ちだから、だし、
なおかつ、
そういう面で接しているから、だと私は思います。
○POINT○
人間は多面体。
相対する人の印象って、実は、
自分の内面を表している「合わせ鏡」でもあること。
わたしも常に学ばせてもらっているなあ、と感じます。
会う人によって、
今、この人の「ここの面」が強調されて「見えている」と思う時、
それは今の私自身の状態も映し出して「見せてもらっている」から。
いい加減な対応していたら、相手もいい加減になったりね。
丁寧な対応していたら、周りからも丁寧に扱われる。
あー、でも、それって、
自分自身が、自分をどう扱っているか。も大きいなあ・・。
自分が自分を丁寧に扱っているかどうか。
自分のこともちゃんと喜ばせてあげてますか?と・・
最近の私は、それがよく頭をよぎります。
ちょっと矛盾したことを書きますが、
宇宙愛の意識は、
何でもかんでも綿毛のように優しいものばかりでもないんですよね。
愛ゆえに、ちゃんと厳しさも持っている。
大きな愛から、
段階的に「厳しく聞こえること」を言ってくれる事も多いです。
宇宙意識層からのヒントだとしても、
それも、
自分という多面体のプリズム鏡に
「今の自分の状態を映し出している」ものなのかもしれません。
その時キツく感じられたことも、
後々、時間が経ってから振り返ると、
それがあったから今がある、よかった。ありがとう。
と思えることも多いです。
多面体のどの面で受け取ったか、は大きいなあ・・(突然独り言)
でも、
たとえ、マイナス面で受け取ってしまったことだとしても、
その時受け取った感覚自体を否定しなくてもいいんですよね。
「あの人キツイなあ。」って思ったら、
それはそれで、そのまま受け取っていいんだし(笑)
「いやだあ・・」は、いやだあ・・で良い。
なんせ、
自身が感じた感覚を何より大事にしていたら、
相手がどう見えようが、
どんな状態を見せられようが、
「自分の真実」には、
ゆくゆくちゃんとたどり着いていますよねー。
どちらにしましても、
みなさまも、わたしも、
すっきり自分に嘘なく過ごせる日々でありますように。
心と、言葉と、行動が一致しますように。
先日、プチリトリートで訪れた神社にも
そんなキーワードが隠されていたようです。
同行してくださった作家さんが、つい先ほどヒントをくれました。
ありがとう、にいなさん。
このリトリートも後日書き記そうっと。
おっと、12月頭の静岡旅行記もまだ書けていなかった。
これもいずれ。
オモシロミラクル連発でした。
心と、言葉と、行動を一致させていった先にあったもの。
そんなことを今度書きますね。
今日も読んでくださってありがとうございました。
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