佳矢乃・オリジナル絵画・イラストレーター・絵本・星読み・通販|しずくあつめ舎 佳矢乃-kayano- しずくあつめ舎「佳矢乃」では、アーティスト佳矢乃が「魂の世界と、今ここの現実世界を繋ぐ絵」をテーマに、絵画やイラスト、絵本、銅版画、紙もの雑貨などを制作しています。降りてきたふたつの魂を描く「しずくふたつの絵」や、出産祝いや魂の起源である宇宙を表現した作品等をあなたの生活に喜びのひとしずく一滴を。

独り言・・だけど常に思っていること「内側にある神性」

9月入りましたね。

 

4年前の今日(9/1)

別のところでこんな記事を書いていました。

 

読み直して、

あー・・・転載しようっと(軽い)です。

 

 

いつもブログアップしたら
SNSでも
「アップしました」と告知してるんですが、

 

今回のような
「その時のことば」[message]
SNSで告知しないことにしています。

 

そのタイミングで
見つけてくださった方に、
という気持ちです。

 

 

また
読む時期がいつになっても、
気づいてくれた方の
気づいてくれたタイミングで
触れてもらえばいいな、と
思います。

 

 

 


 

(過去記事転載:2019.9.1.)

 

 

「この人の言っていること

 好きだなあ。」

と一度でも感じたことがあったら、

 

その後も、

割とずっと

その方の言うことすべてが

「正しい」

とジャッジし続けがち

かもしれないですが、

 

中には、

「この発言(行動)は

 ちょっと

 違和感があるなあ。」

って思うことがあったって

なんの不思議でもなく。

 

むしろ、

その「違和感」は大事じゃないか、と思う。

 

迷わず

自分のその違和感を

優先して良し。

 

 

でないと、

たった一人の発言行動すべてを

「良し・正解」とみなしてしまうと、

 

「それ以外は悪い・間違い」

なりがちにもなるから。

 

 

で、

思わぬ方向に転がることが

多々有るから。

 

 

「その人の言葉」

すべてを

「正しい」と

判断したり

優先していくんじゃなくて、

 

「その人の言葉」

これは腑に落ちるけど、

 

これはちょっと違うな、

と都度都度感じられる感覚や

センスはあって当たり前。

 

 

「その人」すべてが正しいわけじゃない。

 

誰であっても。

 

 

 

それぞれに

自分と合う・合わない

があるのは当たり前だと思える、

その余裕、というか、大きな視野。

 

 

心酔しすぎない、感覚を

今一度、見直したい。

 

 

仮に、

その人がどれだけ凄い人だとしても、

 

自分の内側から沸き起こる

「違和感」や

「疑問符」や

「反発心」を

おろそかにして、

 

自分の心に蓋をして、

 

その人の発言全てを

「正しい」

と判断し続けたら・・・、

 

一体どうなっていくか、も

客観的に見知っておきたい。

 

 

 

 

自分の感覚を

研ぎ澄ませるレッスンは

誰かに心酔しすぎた地点で

途絶えるもんだ、とも思うから。

 

 

 

誰かを尊敬し、

敬うことは

素晴らしいこと。

 

お手本にしたいと思える人がいる、

というのは幸せ、だとも思う。

 

 

でも、

「心酔しすぎる」

のは、

一人一人の自尊心の喪失に近い。

 

 

 

 

・・なーんて、わたしは考えます。

 

 

 

「人間」は、

正しい・間違い

この両極のはざま(間)で

揺れているもので、

 

今の流れが、少し

「この人の言うことは

 すべて正しい」

と思い込み過ぎる風潮で、

 

妙に怪しげな空気を放ったりするから、

 

その人自身の感覚

その人自身の心が

どれだけ大事か

にもっともっと

焦点を当てられたらなあ・・

 

とつくづく思います。

 

 

 

 

 

 

(世の中で起こる戦いは

 常に「心酔しすぎ」が

 発端となるんじゃないでしょうか。

 

 「心酔したもの」がそれぞれ違うと、

 どっちが正しいor間違っているの

 意識の戦いになる。

 

 それが、

 いつの間にかお互いに

 妙な大義名分を作り上げて

 相手を攻撃して良いという意識に

 拍車をかける。

 

 その集合意識が

 歴史の中で何度繰り返されてきた?

 

 自分の感覚、

 相手の感覚、

 すべてが「有り」だと、

 ただ、あなたはそうなんだね、

 わたしは、こうなんだよ。と

 シンプルに受け入れられたら、

 世の中に戦いは起こるはずがないのに、

 と思う。

 

 賛否両論承知でいうと、

 スポーツで競い合わせるのは、

 人間の「勝敗を求める癖」を

 発散させるものだと聞いたことがある。

 

 そんなに戦いたいか?

 ・・と、ついつい思ってしまう。

 

 戦い「勝つこと」で自尊心が保たれる。

 

 そんなケースもあるのかな・・知らんけど。)

 

 

 

 

冷静に

客観的に

「眺める」ことも

忘れないでいきたいです。

 

 

そんなの理想論過ぎる、と

言われても、

理想を求めるのを辞めたら、

人としての品格を失うと思う。

 

 

 

そして、

この「独り言記事」も

わたし一人の勝手な感覚なので、

 

例えば、

今、誰かを心酔されている方が、

わたしの独り言に

違和感を持たれたとしても

それはそれで「有り」で、

 

違和感を持たれた方に

「間違っている」と言うつもりもありません。

 

 

 

 

それすら、

「自由意志」

「自由選択」

 

 

 

宇宙の愛は

それくらい深くて大きいから、

その宇宙意識を理想とするなら、

あー、

そうなんですね。

 

で終わり、です。

 

 

 

 


 

偉そうに書いてしまいましたが、

その人の感覚は

その人のもの。

 

その人の経験は、

その人だけの素晴らしいもの。

 

 

プラス、

自分の感覚と

誰かの感覚を

擦り合わせていく

そんな心の余裕も

いつも持ち合わせていたいなあ。

 

 

 

今日も読んで下さって

ありがとうございます。

 

 

 

とはいえ、ですよ(なにかね)

 

 

あまりに

違和感大きすぎる対応だったり、

勝手に土足で入り込んできたり、

マナー違反だったりは、

 

やっぱり

「おやおやぁ?

 そりゃあ失礼じゃないかね、君」

と快く思わないわけで(一体なにがあった)

 

 

 

そういう時は、

ごめんなさい、さらばじゃ!しますですよ。

 

 

 

なんでも

「大きく受け止めてください。」

と相手に要求するばかりなのは

「無し」ですねえ・・

 

 

それぞれがそれぞれに

「内側に神性」を持っている。

 

 

自分以外の誰かに

「これくらい受け止めてくださいよ」

って無理かけるのは、

 

その相手の「神性への冒涜」です。

 

 

あなたの「神性も軽んじている」ことをしている。

 

 

 

とこれまた独り言。

 

 

 

互いに尊重し合える世界をつくりたい。

 

 

例え、理想論だと笑われても

これをつくらずして、

 

なにをつくるんだ。

 

 

 

失礼いたしました☆☆

 

 

 

今の地球は、

今のこの国なんかは、

宇宙から見たら

どう見えてるんでしょうねえ。

 

 

 

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