佳矢乃・オリジナル絵画・イラストレーター・絵本・星読み・通販|佳矢乃しずくあつめ會 -kayano- 佳矢乃しずくあつめ會では、アーティスト佳矢乃が「魂の世界と、今ここの現実世界を繋ぐ絵」をテーマに、絵画やイラスト、絵本、銅版画、紙もの雑貨などを制作しています。降りてきたふたつの魂を描く「しずくふたつの絵」や、出産祝いや魂の起源である宇宙を表現した作品等をあなたの生活に喜びのひとしずく一滴を。

先に「与える・出す」の後に「受け取る・入る」・・のなら

 

かなり個人的な「思いの記録」です。

わたしがまず忘れないために

書き残そうと思ったのですが、

 

もし仮に

これを読んでくださった誰かも

なにか「楽になる」きっかけになってくれれば嬉しいなって思います。

 

 


 

個人的な思い癖。

 

長年染みついた「癖」というのは、なかなかやっかい

しつこくて

 

つい先ほども、その思い癖が

急にやってきました。

 

 

「わたしは、まだ

 赦されていないんじゃないか。」

 

 

ん?なにに?

 

 

そう思ってしまう原因にも薄々気づいています。

 

原因は、

魂の深いところに染み付いている「罪悪感」

 

それは今世の経験でもあるし、

もっと違う何かが焼き付いている場合もあるでしょうし。

うーん、それもどうだか、わかりませんけどね。

 

 

で、

今さっきも自宅・仕事部屋の

溜まりに溜まった書類や下書きの紙(膨大)

なかなか捨てられずに溜めていたソレらを

選別しながら処分していたのですが、

 

ふと

 

「断捨離的な度合いで言うと

 まだまだ足りないんじゃないか。

 まだ捨てないといけないものがあるんじゃないか。」

 

 ↓

(ここで思いが終わればいいのに、なぜか)

 ↓

 

「こんな自分だから

 赦されないんじゃないか。」

 

と、脳内独り言が発生した時に

 

「うわっ!違う違う!」と首を横に振りました。

 

この思想・思考回路は

完全に、

 

自分をなにかよりも「下に置いている思想」なんですよね。

 

上・下。

その関係性は、完全な地球意識です。

 

上も、下も、ない。

 

それは神と呼ばれる宇宙源泉ですら。

 

神(宇宙源泉)自体は、上も下も作らない。

 

謙虚でいることと

自分を下に置くことは、違う、べつもの。

 

すべてに尊厳があるとするなら

上も、下も、なく

すべてにおいて尊い「たからもの」であるはずで

 

その「たからもの」の存在は

「自分の意識と決意と行動で、世界を構成できる」

 

(すべての存在=わたしとして)

 

わたしは、わたしの「世界をつくる」

わたしは、わたしの「宇宙をつくれる」

 

なのに

私は、

いったい「なにに赦されようとしているんだろう。」

 

 

・・・・・・・

 

はあああ・・・ため息が出ました。

 

そうだよ、そうだよぉ。

もういいじゃないの。と。

 

 

ちょうどお盆、日本では終戦記念日。

 

黙祷と共に、

私個人的なこの「正体不明のなにか」も、もう必要ないです、と

宣言&成仏させるつもりで、この記事を書いています。

 

———-

 

少しファンタジーの話をします。

信じてもらえなくても大丈夫です^^

過去、何年も前に前世療法を何回か受けたことがあるのですが

その時に見たビジョンいくつか。

 

それが、この

「なにかから許してもらえていないんじゃないか。」という

原因の一部になっているんだろうと感じていました。

 

○ビジョン・その1

いわゆる魔女狩りです。

薬草やいろんなものを扱っていろいろやっていたら

ある日、捕まって焼かれました。

 

 

○ビジョン・その2

スターウォーズか、という空間。

宇宙船内、何かの力を使って任務を遂行中。

故郷の星が攻撃されて破壊されそう。助けるために向かいます。

が、相手から脅される。

「その力を封印したら、星(故郷)を助ける。(←でもこれ嘘)

 封印せずに使うなら、星(故郷)を破壊する。」

故郷には愛する人たちがいます。

魂が抜かれたみたいに号泣してるところまで見えたけど

どちらを選んだかまでは見えませんでした。

 

———-

 

普段は忘れているのですが、

たまーに「正体不明の罪悪感」がよぎるたびに

このビジョンを思い出します。

 

(蛇足だけど「手段を選ばない○○に対して異様な怒りが湧く」のもココが原因)

 

 

架空のもの、ファンタジーのもの、と片付ければいいんだけど

 

「正体不明の罪悪感」が「あり続ける」以上

 

わたしは、ずっと

「何かから赦されていないんじゃないか。」という

生きているだけで、不安を伴う状態を持つことになる。

 

うわああ・・それはしんどい。

 

罪悪感は、愛から一番遠い「波を打ちます。」

 

そして、

自分で自分を常に「罰している」状態。

 

自分が自分を赦せていない。

 

・・そもそも、ゆるす、とは?

 

許せていない = 常に緊張状態

 

そして

 

赦されていない(と感じているから)

愛されているかどうか常に不安が付きまとうんだな。

 

なにに?

なにに愛されているかどうか、気になっているのかな?

 

自分以外の誰か?なにか?から?

 

いやいやいやいやいや・・

やっぱり、自分だな。

 

もう、この意識の癖を

やめよう。やめたい。やめる。やめた。(何活用?)

手放そう。

ものの片付けも大切。

それ以上に、意識の片づけの大切さも。

 

頭でわかっていたつもりだったけど

頭だけじゃなくて、

心の奥底、魂の奥底まで

いよいよ響かせようじゃないか。

 

「わたしは、宇宙(源泉=自分も含む)を愛しています。」

 

 

こう言葉で音にして、発した時に

ポロリとちょっとだけ涙が出て、

ほろほろと全身が緩むのがわかりました。

 

緊張が解けて、

過去の経験よりも

「今と、これから」を、たからものにしていける。

 

 

世の中、いろんな人がいろんなところで

 

「先に出す、先に与える。

 そうすれば、入るし受け取れる。」

 

ということを言っています。

それはお金だったり、気持ちだったり、も。

 

それで言うなら、

 

宇宙から愛されたい、

誰かから愛されてたい、と「もらいたい」「受け取りたい」と思う前に

やっぱり

「愛す」こと、「発すること」から、なのかも。

 

宇宙から愛されていないんじゃないか?と思う前に

宇宙(この世のすべて)を愛している、と心底思えていたら。

 

 

これは、

ものごとの善悪、を論じる話ではなくて、

ただ、

 

この世の中心である「自分・我」が

なにを発していますかな?

 

・・というおはなし。として。

 

 

 


 

遠くで、雷が鳴り始めました。

何度もゴロゴロ、聞こえます。

 

これも、わたしにとって「雷」は

結構、大きなサインとヒントでして。

 

これ書いている時に、雷の音が聞こえているということは

 

「YES」

 

ふふふ、どうもありがとう。(言い方が軽い)

 

さて、片付けに戻ります。

 

 

みなさまにとっても

今日も明日も充実した毎日でありますように。

 

 

「あなただけの物語」を書いていただきました。

思えば、ここ1週間ほど

貴重な出会いがあったり、嬉しいことが立て続けにあったり、

すごく恵まれているなあ・・と思う毎日。

 

ある人が(これも後日書き残したい)

 

「加点方式で、見る。その訓練を20代の時にしました。」

 

とお話しされていました。

 

とっても素敵な方なのです。

長年憧れ続けた方。

 

ああ、訓練。継続。

一朝一夕では身につかない「それ」

 

としたら、

今回の決意を、行動継続させて

「心底、馴染ませます。」

 

キリッ。

 

 


 

追記:

週に一度はデジタルデトックス日を儲けて

自分の心や五感を満たしてあげる時間を過ごそうと決めました。

寝る、見たかった作品を鑑賞する、絵を描く、本を読む、音楽を聴く

外を歩く・・などなど。

 

というのも、

SNSって、ネット情報って

やっぱりどこか

「これがいい・これが悪い」という二極化的な情報が多かったり

「これをしないとだめです」と焦らされるものも多いから。

 

どれだけ有益な情報があったとしても、

それ以外の不要な情報、心が惑わされる情報もわんさかある。

だから見続けると、

完全他人軸が完成〜!になるなあ・・と感じたから。

 

「わたし(我)」の感覚を大切に保つためには

定期的に、離れる時間も必要ですね。

 

 

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